韓国「食のプロ」にインタビュー ③ とんあり オーナー 松本ひとみ氏(下)

先週に引き続き、韓国の飲食業界で活躍する日本人のパイオニア、日本居酒屋‘とんあり’オーナーの松本ひとみさんのインタビューを掲載します。

(上)はこちらからご覧ください。
https://yogiyogi.jp/1009 

とんありのターニングポイント 「今まで19憶ウォンも道に捨てていたんですよ」


― 危機をどうやって乗り越えたのですか?
最初はパニックでしたね。韓国でこんなトラブルに見舞われて、誰とどう話をしたらいいのかもわからないし、まして外国人ということで不安だらけでした。とにかく間に入っていた不動産信託の担当者と話をしたら、「あなたの店がテナントとして入っている分譲区画が競売にかかります。あなたがその分譲区画を落札してください」って言うんですよ。最初はアホなこと言うなと思いましたね。でも銀行に相談に言ったら「今なら分譲価が下がっているし、融資するから落札しなさい」って言うんですね。市庁のとんありも上手くいっていたから会社としての売り上げを評価してくれて、銀行が融資してくれるという話になりました。そこから必死で競売について勉強しました。その結果、これは買っても良いかもしれないと思うようになりました。それでわざとお店に「テナント募集」の貼り紙を出しました。

 

― というのは?
私以外にも、うちの店が入っている分譲区画を買おうと考えている投資家がいるわけです。投資家は家賃収入を目的としているからテナントが入っていないとどうしようもない。だから私の店には営業を続けてほしいわけですね。実際、色んな投資家から100件以上は電話がかかってきましたよ。「私がこの分譲区画を買って新しいオーナーになったとしたら、お店を引き続き営業する意思はありますか?」ってね。でも私は「いや、もうこんなトラブルのあった場所は勘弁だ、一日も早く出て行って日本に帰りたい」って嘘をつき続けました。そうしないと競売の競争相手が出てきちゃうわけですから。それで、運命の競売の日。競売会場に行ったら私の他には誰も居なかったんです。期限の時間が来るまで「誰も来ないで!」って祈りながらずっと時計を見ていましたよ。結果、誰も現れずに見事に私が落札するに至ったわけです。

 

― すごいドラマですね。
その事件をきっかけに、高いテナント料を払うのがどれだけバカバカしいかがわかりました。それで市庁のとんありもテナントから出たくなったんです。計算してみたら、市庁のとんありは6年間で19億ウォンもテナント料として道に捨てていたんですよ!そのお金でビル買えるやんかって思いましたね。銀行から融資を受けて不動産を買ったら、借金を背負うといってもいつかは完全に自分のものになるわけだし、月々で考えても家賃より利子が安いので、そちらの方がいいんだなって勉強しました。そんな時に稲庭養助さんが場所を譲ってくれと言ってくれました。まさに渡りに船と言うタイミングでした。次に新しい場所を探していたところ、北倉洞に安くて良い3階建てのビルが見つかったので、融資を受けてそこも買うことにしました。賃貸物件も権利金と保証金を合わせると数億ウォンに及ぶ初期費用が必要ですから、その費用を利用して銀行に融資をお願いしたのです。お店をいくつも出して自分のビルを持つほど、松本ひとみは儲け倒しているなんて悪い噂を立てられたこともありますけど、内情は全然そんなことはないんですよ。ビルなんて首まで借金ですからね!(笑)

松本ひとみ、もう一つの伝説。
「店を移る時はすべてを従業員に譲っていきます。お店の魂ともいえる全てをね」

― お店の場所を移るたびに、元のお店を従業員に譲ってしまうというのは本当ですか?
そうですね。本当です。新村のとんあり1号店も従業員に譲りました。(その後、別の店名で営業。)
その時から、私がお店の場所を移る時は、従業員が独立して店を続けていくという形をとっています。店舗を譲る時は権利金として一定の譲渡金はもらいますが、その後のロイヤリティは一切貰いません。 食材は私が使っている同じ業者にお願いして、独立した店舗をグループ系列扱いにしてもらい、価格ダウンをお願いしています。独立した店舗のために多少の支援になればと思ってのことですが、もちろんそこからの手数料も一切貰っていません。インテリアはそのまま残していきますし、メニュー、レシピ、お皿やグラスなどの備品、アルバイトなどの従業員、店に残った食材、メニュー、開拓したお客さんもそのまま譲っていきます。大したことではないように思うかもしれませんが、お皿などの備品は日本から割れないように一つ一つ持ってきた愛着も有るし結構な経費がかかるんですよ!お店を開いてから手間ひまかけて育てていく過程は、お金には代えられないお店の魂ともいえるものですが、その全てを置いていきます。店舗開発は、常に膨大な精神的エネルギーと現実的な初期投資費が必要です。独立していくスタッフには少しでも労力と苦労を省いてあげたいと考えてのことです。


― 店の魂ともいえる全てを譲るというのは簡単なことではないですが、それを続ける理由は?
従業員だっていつまでも雇われの身だったらモチベーションが下がるでしょ。オーナーとして居残ってFC展開にすれば、そりゃあ私は大金持ちでしょうけどね。(笑)競売事件の際には本当に色々なことを考えさせられましたが、非常に過酷で競争も激しい韓国の飲食業界で、私と一緒に働いて苦労してくれたスタッフを育て守り抜くことが如何に重要なのかがよくわかりました。ただのスタッフで終わることなく、彼らには自分の道を切り拓き、自分の力で立つ実力を身につけてほしいと思っています。私は心から従業員を本当の子どもたちのように考えて来ましたし、彼らには親心を感じているので、暖簾分けと言う形で従業員達を独立させていく事もまた、私の夢の一つなのです。残念ながら稀に親心子知らずのケースもありますが(苦笑)、それでも私はできるだけのことをして彼らを送り出してきたつもりです。今後もそうしていきたいと思っています。お店を譲ってしまった時点では私には何も残らないけど、次に始めるお店も絶対成功させる揺るぎない自信があるので不安はひとつも無いんですよ。


今回新しくオープンした武橋洞店について教えてください。
実はこの場所こそ、競売事件で私が落札した場所なんです!競売事件で私が落札したのち、店の経営自体は元従業員に譲って、彼が独立してお店を続けていました。私は家主としてテナント料を頂くだけで経営には関与していませんでした。そこからしばらく時が経ち、北倉洞の3階建てビルに作った店も軌道に乗り始めたので、私はそろそろ小さなお店でゆっくりと経営したいと思うようになりました。北倉洞店は3階建てビルなので店舗規模も大きいんですよね。コの字の小さなお店をしたいと思って、適当な店舗を探していましたが、なかなか良い場所を見つけることができずにいました。そこで、武橋洞店で頑張っている彼に北倉洞のお店を任せて、代わりに小さな店舗規模の武橋洞店を私がやろうと決めたのです。彼ならば、若い力で北倉洞のお店をもっと活力のあるお店にできるのではないかと思いました。提案した当初、戸惑いはあったようですが、頑張ってみると言ってくれました。もちろん、譲るという形なので、いつも通り備品食材含めて全てきれいに譲ってきましたよ。初期投資なしで大型店舗を持てるということも彼にとっては大きなメリットだったと思います。その結果、彼はランチの営業も始めて、夜の営業時間も延長し、私が営業していた頃の2倍の売り上げを出すまでに成長させてくれました。本当に喜ばしいことです。で、当の私はというと、武橋洞のお店を改装し、念願のコの字のカウンターを作って新規オープンに至ったというわけです。お店を作っては譲り、作っては改装し、「なんのこっちゃわからん」と言われることもありますが、そして私も時々そう思いますが(笑)、私と私の周りの人々やこれからのこと、本当に色々なことを考えての心機一転の決断と出発です。私はこれまで江北の市庁エリアを拠点にしてお店を出してきました。私が持っていた鐘閣・市庁・武橋洞店の3店舗も、比較的近いエリアにあった方が店舗を管理するのに都合が良かったという事情もあります。譲渡後は、それぞれのお店は良い意味でのライバル店にはなりますが、グループ店の強みを生かした上で、店舗の大きさに応じて団体客、少人数のお客様と、客層を分けて営業していくことが可能だと思います。例えば、北倉洞店の主なお客様は日本の方よりも韓国人のお客様です。それぞれのカラーを生かして、十分に成績を上げられるようお店を育てた上で、譲ってきました。完全な独立採算ですので、譲渡後は私には収益は有りませんが、私が引き継いだお客達に可愛がって貰いながら、独立組は頑張って儲けていらっしゃるはずです(笑)

韓国で居酒屋をオープンして16年目。パイオニアとして…


― 韓国の日本食ブームは高まる一方ですが、このような状況をどのようにお考えですか?
「居酒屋」という観点から見るならば、これからは居酒屋というのは必要なくなると思います。韓国にも天ぷら、串カツ、お寿司などの専門店が増えました。今まで居酒屋はいわば総合商社のような存在でした。居酒屋に行けば日本食を何でも食べられるというのが良かったのだと思います。でも専門店が増え、韓国のお客さんが和食を食べ慣れてきたこともあって、「今日はお寿司が食べたい」、「今日は天ぷらが食べたい」といった具合に、お客さんも考え方も変わってきました。また、日本でしっかり勉強してきた韓国の料理人さんが本格的な小料理屋や割烹をオープンするようになってきたので、いわゆる居酒屋というのはだんだんと無くなっていくのではないかなと思います。居酒屋とんありとしては、これからも日本人会の皆さんの憩いの場としての役割を担っていければいいなと思っています。

― これから韓国で飲食事業に参入を考えている人々にアドバイスをお願いします。
韓国を舐めないでね、ということは言いたいですね。残念ながらこれまで数多くの日本の大手チェーンが韓国に進出しては撤退してきました。飲食に挑戦しようと思うは誰でも自分の腕と味で勝負すれば成功するという自信があると思うんです。韓国に視察に来る方の中には、(とんありではない別のお店を視察して)「よくこの程度の味でやっていけるなあ。」と言う方がいます。確かに、なんちゃって和食のお店もあるけれど、でもじゃあなぜそのお店が韓国の人に人気があって成功しているのか、その理由についてはわかっていない。それでは絶対に成功しませんね。日本の味をどこまで韓国風にアレンジすべきかで悩む人もいますが、とんありのメニューは、日本の味そのままで提供しています。ただし、「日本の味そのままでも韓国の人も好き」な料理ばかりです。そのラインがどこなのか理解することも大切です。また、些細なことかもしれませんが、サービスひとつをとっても日本の人に喜ばれることと、韓国の人に喜ばれることは違います。例えば、日本のお客さんは物的なサービスよりも精神的なサービス、「心遣い」を大切にされます。でも韓国のお客さんは気遣いよりも、ビールやおつまみなどの「物」のサービスの方を喜びます。こういった文化の違いを理解しないまま、日本の本場の味を持って来さえすれば成功すると安易に考えてはいけないと思います。韓国でお商売するなら、きちんと韓国という国と人を勉強して理解することが大切だと思います。

 

〇 松本ひとみプロフィール
2002年に来韓。2004年、ソウル市新村に居酒屋「とんあり」をオープン。ソウル市で日本人が経営する居酒屋としてはパイオニアと言える。以来、在韓日本人の間では「みんなのおばちゃん」として慕われ、とんありは人気の居酒屋として営業を続けている。2019年にとんあり武橋洞店をオープン。来年には新たな店舗開発も計画しており、精力的な活動を続けている。

 

とんあり 武橋店
創業: 2019年
松本ひとみが手掛ける最新店舗。カウンターとテーブル席の小さな店舗ながら日本の雰囲気をそのまま味わえる。店に一歩足を踏み入ればそこは大阪!?
店舗住所:ソウル市中区南大門路40番地 センタープレイスピル1F
TEL 02-6031-8989

 

文 : 横尾美帆(よこお みほ)

和歌山県生まれ。早稲田大学在学中に韓国に交換留学生として高麗大学に通う。卒業後は韓流ビジネスに携わり、テレビ番組の制作や芸能プダクションとともに各種韓流イベントの企画を手掛ける。その後、日韓の様々なビジネスの橋渡しを経て、2019年に日韓コンサルティング会社 Louloumaoを設立。
FBとインスタグラムにて韓国のおいしいお店情報を発信中!

FB:https://www.facebook.com/umaimisekorea/
インスタ:https://www.instagram.com/meechannel/

 

 

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