韓国「食のプロ」にインタビュー ③ とんあり オーナー 松本ひとみ氏(上)

韓国では今、和食人気がかつてないほど高まっている。ドラマの主人公が退勤後に和食系の居酒屋で酒を一杯、こんなシーンは珍しくなくなった。韓国人の食の選択肢に「日本食」は当然のものとしてなじんだように思える。そんな韓国での和食を語る上で、伝説的な人物がいる。まだ和食のお店が少なかった2000年初頭に日本居酒屋「とんあり」をオープンした松本ひとみ氏だ。今でこそ韓国で日本食店を営む日本人は多いが、彼女はその先駆者的存在といえる。韓国でお店を始めて今年で16年目、手掛けたお店は8店舗。日本人駐在員なら誰もが知っている、みんなのおばちゃん的存在だ。韓国と和食、その歴史をすべて見てきた松本ひとみ氏にこれまでの「レジェンド」について語ってもらった。

 

「冬ソナ」ブーム前の韓国。 「まともな日本食店なんてありませんでしたよ。」


― まず、松本さんが韓国に来た経緯について教えてください。

私は日本では会社員でした。食品関係の会社でしたが、時代の流れもあってその会社が人手に渡ることになり、それをきっかけに私は退社しました。社長が素晴らしい方で社員は引き続き次の体制の下で働けるよう尽力してくれたので、私も辞めなくても良かったのですが、「自分の会社と社長に愛着と恩義があるし、他の会社名で電話を受けるのは嫌」というバカみたいな理由で(笑)、私は退社しました。退社後、退職金や失業保険で1年くらいは自分のために時間とお金を使えるなと思いました。それで、1年間何をしようか考えたときに、かねてより韓国語に興味があって独学で勉強していたので、本格的に韓国語を勉強したいなと思いました。ところが、当時は日本国内で韓国語を勉強できる場所も少なかったので、韓国に留学しようと決めました。それで2002年、45歳のときに延世大学の語学堂に留学しました。

― 40代での留学、大きな決断ですね。

そうですね。実は初めて韓国に旅行をしたときに韓国にはまったんです。それで韓国語も喋ってみたくて独学で勉強していました。それが1988年のソウルオリンピックより前の話です。当時の韓国といえばおじさんが遊びに行く国というイメージでしたね。2002年に留学しましたが、その時でさえも日本人の女性が留学するというのは珍しかったですよ。学校の先生は私より年下でしたので、先生は私のことを「ひとみオンニ」と呼んでいて、私も先生に敬語を使わず話していましたね。楽しかったですよ。

― 居酒屋をオープンされたきっかけは?

韓国語を独学で勉強していたこともあって、延世大学の語学堂を1年で無事に卒業することができました。

卒業後、日本に帰国する選択もありましたが、先のことを考えたときに韓国で何かを始めてみる方がいいなと思いました。それで何をしようか悩んで出た答えが「飲食」でした。その当時の日本食は「なんちゃって和食」もいいところで全く美味しくないし、これなら私が美味しい和食のお店を出したら流行るんじゃないかと思いました。それで2004年の2月11日の建国記念日に、私の国を建ててやるという野望を抱いて、新村に居酒屋「とんあり」をオープンしたんです。

自信満々だったはずが…  「こんなところに誰が来るの?」


― いよいよ始まった居酒屋「とんあり」の歴史、滑り出しはどうでしたか?

最初の売り上げはボロボロでしたね。今思えば当然です。韓国に知り合いがいるわけでもないし、お店の宣伝をするわけでもないし、ただただお店をオープンしただけだったのですから。お客さんが来なくて毎日泣いていましたね。

ところが、ある日ふらっと日本人のお客さんが来ました。日本人会の関係者だったですけど、その方がずいぶん辛口なことを言うんですよ。「こんなところに誰が来るの?」って。というのも、お店を出した場所が悪かった。当時はSNSなんてないので立地条件はすごく大事でした。でも当時の新村は日本の人はあまり来ないエリアだったのです。だからそのお客さんに、「新村で、しかも店はビルの3階で、こんなところに誰が来るの?」って何回も言われましたね。ところが、後日、その方がSJC(ソウルジャパンクラブ)の掲示板に「おばちゃんがやってる面白い店がある、まだ日本人に知られていない穴場の店だ」と書き込んでくれたんです。それがきっかけで、日本のお客さんにとんありを知ってもらうようになりました。

 

― なぜ、当時は日本人駐在員があまり出入りしないエリアだった新村にお店を出したのですか?

延世大学に通っていたからっていうだけの理由!(笑)

お店を始めて2年半ほどは苦労しました。でもその間に在韓日本人のお客さんやネットワークはできました。そんな時、「ひとみちゃん、やっぱり市庁や鐘路エリアに出なくちゃダメだよ」ってアドバイスされました。それでどうしようか悩んでいた時に、不思議な縁があって市庁エリアの旧韓国化粧品のビルの中に空き店舗があるという話が舞い込んできたんです。おまけに、たまたま行った占い師さん曰く、「風水的にもすごく良い、私の気に合っている」と言うんです。もちろん半信半疑でしたが、2006年にその場所にとんあり鐘路店を出しました。そうしたら、本当に素晴らしいお店になってお店の人気が爆発しました。それまでの2年半の苦労が報われたと思いました。

居酒屋とんあり 成功の秘密は… 「日本と全く同じスタイルの丁寧な接客」


― ずばり、「とんあり」成功の理由は?

その当時の韓国は店員の教育や接客に対する意識が低かったのです。日本人は韓国のお店の接客の悪さにうんざりしていました。お水ひとつ出すにしても、出し方が全くなっていないような時代でした。そんな中で、とんありは30坪にも満たない小さな店内ながら、2テーブル当たりに1人くらい店員を置いて、日本のスタイルの丁寧な接客をするよう従業員を教育しました。取り皿を代えるとか、お水がなくなったら注ぎ足すとか、日本人からすれば当たり前のことですけど、それが当時の韓国では画期的だったので、日本人の間で良いお店があるという話が口コミで広がったんです。そこからは毎日毎日が満席で、お客さんを断る日が続きましたよ。5時になったら電話予約で席が埋まってしまうくらいだったので、お客さんが店に入ってくるのが怖かったくらいです。すみません、満席なんですってお断りしなきゃいけないのが辛かったですね。すみませんを言うのが仕事だったくらい、爆発的な人気で収益もすごかったんですよ。

― 当時のお客さんは日本の方がメインでしたか?

ほとんど日本人、それもすぐ隣の永豊ビルで勤めている日本人ばかりでした。当時は永豊ビルに日本企業が14社くらい入っていましたからね。35席、カウンターまでその方たちで満席になっていました。そこで2年くらい営業しましたがお客さんを断り続けるのが辛くなって、もう少し広い店舗に移ろうと思いました。それで、次に移ったのが市庁の広場の前の店舗です。

大成功のとんあり。しかし、ここから韓国ならではの壮絶なドラマが始まる。


― 鐘路で大成功したとんあり。そこから今まで順調に成長されてきた?

いやいや。結果的に市庁の店に移ったことは失敗でした。というのも、テナント料と管理費が高額だったからです。テナント料と管理費合わせて、当時ひと月2500万ウォンでした。これは飲食の店舗としては異例の額です。しかも流動人口があるように見えて、人が通らない場所だったのも誤算でした。ソウル市のど真ん中の市庁の広場の前で日本人が日本語の提灯を掲げて店を出すということで、色々な媒体から注目されましたし、店の営業成績も悪くはありませんでしたが、私自身が満足できるほどのお店にはなりませんでした。加えて、2011年の東日本大震災以降、韓国では日本食全体への不信感が高まって日本食のお店はどこもダメージを受けました。とんありも震災から1年ほどは営業不振で苦労しましたね。結果的には6年間そこで頑張りましが、ある日突然、場所を譲ってくれという人が現れたんですよ。それが何を隠そう、稲庭養助市庁店のオーナーです。(笑)それで今は稲庭養助さんがその場所でお店を営業されています。

 

― 不動産の問題は大きなリスクのひとつですね。

不動産での苦労といえば、もっと大変な危機がありましたよ。実は、市庁のお店と並行して営業していた鉄板焼きのお店があったのですが、その店舗が入っていたビルの施工主が不渡りを出して、テナントを出なければいけなくなったことがありました。それが私の韓国における最大のピンチでしたね。でもピンチはチャンスとも言います。この事件が私のターニングポイントでしたね。ここから私の人生が変わったと思います。

 

下記の内容で韓国「食のプロ」にインタビュー ③ とんあり オーナー 松本ひとみ(下)】が来週続けますので来週もよろしくお願いします。

  • とんありのターニングポイント  「19憶ウォンも道に捨てていたんですよ!」
  • 韓国で居酒屋をオープンして16年目。パイオニアとして…

 

〇 松本ひとみプロフィール

2002年に来韓。2004年、ソウル市新村に居酒屋「とんあり」をオープン。ソウル市で日本人が経営する居酒屋としてはパイオニアと言える。以来、在韓日本人の間では「みんなのおばちゃん」として慕われ、とんありは人気の居酒屋として営業を続けている。
2019年にとんあり武橋洞店をオープン。来年には新たな店舗開発も計画しており、精力的な活動を続けている。

 

〇とんあり 武橋店

創業: 2019年
松本ひとみが手掛ける最新店舗。カウンターとテーブル席の小さな店舗ながら日本の雰囲気をそのまま味わえる。
店に一歩足を踏み入ればそこは大阪!?
店舗住所:ソウル市中区南大門路40番地 センタープレイスピル1F
TEL 02-6031-8989

 

 

文 : 横尾美帆(よこお みほ)

和歌山県生まれ。早稲田大学在学中に韓国に交換留学生として高麗大学に通う。
卒業後は韓流ビジネスに携わり、テレビ番組の制作や芸能プダクションとともに各種韓流イベントの企画を手掛ける。
その後、日韓の様々なビジネスの橋渡しを経て、2019年に日韓コンサルティング会社 Louloumaoを設立。
FBとインスタグラムにて韓国のおいしいお店情報を発信中!

FB:https://www.facebook.com/umaimisekorea/
インスタ:https://www.instagram.com/meechannel/

 

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